2008年11月30日(日)河口湖マラソン


※今回のコースはこちら。

河口湖マラソンに出場してきた・・・で始まるいつものロードレース記事だけど、その前に話しは前週に遡る。既述だけど前週は、よこすかシーサイドマラソンがあって、しゅんすけはハーフ、21キロを走破した。晴天に恵まれたとてもいい日で、まさにランニング日和とはこういう天気を言うと思った・・・しかし、この時既にしゅんすけの足には、翌週の河口湖マラソンまで持ち越される不安要素が組み込まれていた。この不安要素はハーフを走ったことによる筋肉痛が治まる頃に左足の甲部の痛みとなって顕在化し、ハーフよりもさらに6キロほど距離の長い河口湖1周のレースに出場するしゅんすけを不安にさせた。いや、マジで棄権も辞さないほど危険な痛さだったと思う。
けど、前泊して臨むレース、しかも前日夜からランニング仲間と一緒にわいわいやって気合いを高めている中、多少の痛さ程度で棄権するのはもったいないと思った。自分の足のことだし、翌週から平常通り会社もあるわけだから無理は禁物だけど、出場してみてダメそうだったら途中棄権しようと思って、朝身支度を調えた。
ちなみにしゅんすけたちが宿泊した場所は、河口湖ではなく山中湖。河口湖周辺の宿泊施設がどうにも取れなかったのだ。そんなわけで、レースのある河口湖の駐車場を確保するために、満天の星の輝く朝4時に起きにゃならん状況だったのは辛かったなあ。

さて今回、さきこは久し振りのフルマラソンである。体調が思わしくないそうだけど、果たしてどうなるか。また、このレースにはしゅんすけの会社の同僚も参加していた。先日の手賀沼マラソンでぶっちぎりで駆け抜けた男性社員と、ハーフの記録2時間20分を見て「あー、きっと歩いちゃったんですねー」などとノタまった女性社員である。いずれもしゅんすけには歯が立たないほどのランナーなので、どうということはないけど、やはり会社にもランニング仲間がいるのは嬉しいものである。スタート直前に、同じくハーフを走る女性社員から「頑張ってくださいねー」と、スタート地点近くの写真を添付してメールが届いた。このメールをスタート地点から遠く離れた場所で受け取ったしゅんすけは、既にスタート前から完全に負けていた。


※スタート前、富士山が少し見えた。

※さきこが一足先に集団の先頭からスタート。

朝7時30分。フルマラソン、ハーフマラソン、10キロランのスタートを告げる号砲が朝陽の差し込む河口湖畔に轟いた。いよいよスタートである・・・って、フルもハーフも10キロも同じ時間にスタートかよ?!・・・この辺に観光立国・河口湖のシタタカな戦略を感じずにはいられないのだった。
※シタタカな観光戦略・・・だって、朝7時半にスタートするレースなんか他に類を見ないわけで、この時間にスタートすれば当然前泊になるわけで、しかも7時半にフルマラソンがスタートすれば遅くとも午前中にはレースが終わるわけで、午後から河口湖入りする観光客の足に影響がないわけ、と、この辺は「観光客の邪魔になるから休日で閑散とした本牧の倉庫群をマラソンコースにしてしまおう」という横浜マラソンのシタタカさとはレベルの違いを感じるね。

 
※湖畔の道をゆく。

レースがスタートしてほどなく、しゅんすけは早くも怒濤のような感動に襲われた。ランニングコースの先に聳える巨大な富士山。これほどキレイな富士山を見たのは、沼津時代も含めてたぶん初めてじゃないかな。さすが「日本一景色のいいマラソン」を自負するだけのことはある。これは他のマラソン大会では敵わない付加価値である。よこすかシーサイドマラソンで、走水海岸の向こうに見えた富士山なんか全然比じゃないのだ。いやもう気分が盛り上がるわ、こんな景色を走れるなんて!


※うおー!こ、こんな富士山が!

※ランナーたちに怒濤の感動が押し寄せる。

景色が良いのでしゅんすけの走りも快調。5キロ過ぎ辺りまでは足の痛さは小康状態を保っていた。
しかし10キロ前後で変化が現れた。20キロ超の距離を走るのはこれで3回目だけど、毎度10キロ過ぎから膝が痛くなる。今回も右膝の痛さが現れて、それを気にし出したら左足の甲の痛さを感じるようになっちゃった。つまり、両足が痛くなったのだ。それでも走っている分には痛さはさほど感じなかったんだけど、給水所とかで立ち止まったりした時には相当な激痛が走った。ヤバい、マジで走れなくなるかも。(なんだろうね、立ち止まるとエンドルフィンの分泌が止まるのかね?)
それでも気合を入れ直して走り出す。途中、リタイア者を乗せるためのバス数台と行き違った。まだレースの序盤だったけど、1、2名が乗車しているようだった。それを見てしゅんすけも思わず手を上げそうになった。もうこれ以上頑張って走ってもいいタイムは狙えないし。
迷っているしゅんすけの脇をバスが過ぎ去っていき、しゅんすけはまた淡々と足を踏み出す。非常に辛いのだけど、止めようと思うのだけど、何か別のベクトルを感じて、走り続ける。これはなんだろうね、理屈じゃないんだわ。だって、満身創痍でゴールしてそれからクルマを延々運転して翌日から会社だと思えば、無理しない方がいいのは自明なわけだから、それでも走るのを止めなかったのは、世の中のランナーたちが苦しいくせに走るのを止めないのと同じ理由、さきこが練習もせんで富士登山競争に参加したり72キロものウルトラマラソンに参加したりと過酷なチャレンジを止めないのと同じ理由(しかも来年は100キロに挑戦するとか息巻いてるし)なんだろうな。そういう意味では、この時のしゅんすけは間違いなく「ランナー」だった。
数キロを走っては給水所で休んだり、路肩でストレッチしたりして、再び走り出す。これを何回かやっていてやっと河口湖の一番奥に到達した。ここは、以前さきこがウルトラマラソンを走った時に追随して自転車で走った道、西湖に向かう直線の激坂が見える場所である。しゅんすけの頭の中の地図はこれで繋がった。あとはゴールまで自転車で以前走ったことのある道である。

 

 

 

 



しかし、まあ長かったわ。
途中いい景色が見えたり、紅葉がキレイだったり、抜いたり抜かれたり、給水したりストレッチしたりとほとんど覚えていない。足の痛さは酷くなるばかりで、そのうち意識が飛んだんじゃないかって感じで数メートル進んでたりしてうすら寒くなったね。まさに気力で走っているという感じ。
特に最後の4キロ、これがキツかったわ。全然進んでいない感じがしたもんな。ここまで二十数キロ走ってきたのに、この4キロがそれまでの距離に匹敵するほど長く感じた。
そして沿道の観衆が多くなってきたゴールへ向かう最後の数百メートル。ほとんど足を引きずるように走るしゅんすけの目の前に「FINISH」の文字が見えた。
ついにゴール!



ううううぅぅぅー!
いやもう呻くって。無理もないって。呻かざるを得ないというか、呻かざること能わざるというか、とにかく倒れんばかりに前のめりにゴールしたから係員の兄ちゃんが数人駆け寄ってきて「大丈夫ですか?!」って、まるで箱根駅伝の区間を走り切ったランナーのような、あとは任せたぜ!って感じでゴールした。駅伝じゃないけどな。
とにかく足が痛い。もはやどこが痛いか分からないけど、痛いってホント。既にしゅんすけのエンドルフィンは枯渇していてダイレクトに痛覚を刺激するというか・・・ってそう思う間もなく、ゴールの達成感がその後怒濤のように押し寄せてきた。う、うおおおー!やったぜ、27キロ完走したぜ!
時間は3時間16分。残念ながら3時間を切ることはできなかったけど、この絶不調の中で完走しただけでもスゴいのだ。

ぽかぽか陽光に当たりながらとにかく足を落ち着かせた。ホント、壮絶なレースだったなーと思い返していると、スタートから4時間が経過。そろそろさきこが帰ってくる頃である。
まりこさんと一緒に沿道に観戦に行った。ほどなくさきこが現われ、ゴールへ駆け抜けていった。いや、この人も体調がいいわけじゃなかったのに、4時間12分の自己ベスト更新である。
しゅんすけも大変だったけど、さきこも大変だった。いや、お疲れ様!!!

 

その後満身創痍なしゅんすけとさきこは、比較的疲労度の低いまりこさんの運転するクルマで、須走近くの温泉に行き、カラダを休ませた。帰路は壮絶な渋滞を経験して、翌日会社だというのに、22時過ぎに帰宅した。どろどろに疲労しているカラダをじんわりと達成感が包んでいた。
それにしても、今回は絶不調の中、走るのを止めてリタイヤしようか考えたこともあったけど、不思議と走り切れてしまった。走っていると気持ちいいという感覚が徐々に輪郭をはっきりさせてきた。確かに走ってるのは苦しいしキツいんだけど、止められない何かがはっきりしてきた。もっともっと走りたい。その何かを掴んでみたい。足は痛かったけど、次に走る機会を待ち切れない自分が確かにそこに存在していた。

さて今年のレースはこれで終了。
来年は1月に千葉マリンやら新宿シティやらがあって、それが今から楽しみである。いや、その前に正月の箱根駅伝があったな。これ、きっと今までとは見方が変わっていると思うんだよね。ランナーとしてランナーを見る。彼らの走る距離はしゅんすけには手の届かない距離ではなく、実際走ったことのある距離なのだ。これを見るしゅんすけが走りたくてうずうずしたら、なんか驚きだよね。