プロローグ
2001年7月5日(木)〜7日(土)にしゅんすけとさきこは
沖縄に旅行に行ってきました。
二人とも初めての沖縄旅行で、見るもの聞くもの全てが好奇心の
対象でした。
ここでは、旅行の内容を紹介します。
1.沖縄上陸まで
沖縄紀行は、1年ぶりのさきことの旅行だったこともあって
物凄く楽しみにしていました。
しゅんすけは、こういう大きな旅行の時には
高校とか中学に戻った気分で
「旅のしおり」を作っています。
前回の北海道の時からパソコンでDTPまがいなことが
できるようになったので、修学旅行で作るような「しおり」という
よりは、「プライベートパンフレット」みたいな感じです。
ただ、完成が出発の当日になってしまうという
難点がありますけどね(忙しくて結局こうなるのだ)
今回もしおりが完成したのが、深夜2時。
翌朝は、5時起きで、6:55発の飛行機に乗る予定でしたので
しゅんすけは、そのまま就寝したのでした。
それから、数時間後、羽田空港でキャンセル待ちをする
二人の姿がありました。
何が起こってこうなったかは、皆まで言うまい。
不幸中の幸いでしたが、なんとか那覇空港行きの飛行機は
飛び立ったのでした。
(なんと当初の予定の6時間遅れ(!)で)
「旅のしおり」に書かれた予定は、初っ端から
大きく変更を余儀なくされたのでした。
飛行機では、窓側の席をゲットしたのですが、
航路が主に海上だったので、景色といえば、
真っ青な空と海だけ。
北海道のときのような様々な雲模様で感動するということは
あまりなかったです。
それだけ天気が良いということなんだけど
ここだけはちょっと残念。
那覇空港は、海岸に隣接しているため、
着陸の直前まで海面を飛ぶ感じになって、着陸。
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飛行機からの1枚。
しゅんすけは、窓に貼り付くようにして見てました。
(俊介撮影) |
こうして、しゅんすけとさきこは無事沖縄の地を
踏むことになったのでした。
時計は、午後15時でした。
2.ミバエ対策事業所
「旅のしおり」によると、9時頃に沖縄到着してすぐにレンタカーで
ミバエ対策事業所がある「沖縄県農業試験場」に入るはずでしたが
前段のとおり時間が大幅に遅れてしまったため
お役所の定時17時直前に事業所に到着しました。
対応してくれた事業所企画課の山城氏は
退社時刻を過ぎているにもかかわらず
親切に事業の内容を説明してくれ、
ミバエ対策事業についてのビデオ鑑賞まで
手配してくださいました。
しゅんすけとさきこは、このときは、
学生に戻った気分で、山城氏の話しに耳を傾け
ノートを取ってました。
事業についての詳しい情報を生で聞くことができ、
またビデオや実際のミバエの標本(やはりグロかった・・・)を
見ることができて、良かったです。
しゅんすけの読んだ本は、事業について割愛することなく
詳細に記述してあったため、山城氏のお話しを
とてもよく理解することができました。
ここでは、養殖する虫の数を「頭(とう)」で表現してました。
黒板には、「7万頭達成!」と大きく書かれていました。
(最初牛でも育てているのかと思った)
事業所では、現在ミバエの根絶事業を縮小し(再侵入を防ぐ処理として継続中)、
サツマイモを食害するゾウムシの
根絶事業をミバエ根絶の手法を応用した事業を模索中でした。
事業の詳細な内容については、別にページを設けたいです。
このような機会を与えてくださったミバエ対策事業所の
山城氏および事業所にアポ取ってくださった農業試験場の山口氏に
感謝します。
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ミバエ事業所の建物の壁に描かれた「ミバエ対策事業所」のマーク。
(かっこいい!)
赤い丸は、実は沖縄の県のマークから来ていると思われる。
(しゅんすけ撮影) |
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ミバエ根絶の記念碑の前で撮影。
中央には「沖縄県ミバエ根絶記念碑」、その下に
「ミカンコミバエ 1986年2月、ウリミバエ 1993年10月、
沖縄県知事 太田 昌秀」と記された記念碑。
向かって左側の石碑には
「沖縄県におけるミバエ類の分布拡大と根絶防除」の
流れが、地図上に示してある。
向かって右側には、根絶防除の手法について記載してある。
(山城氏撮影) |
3.ホテル
予定を大幅に変更してしまった1日目の夜、
深夜の沖縄自動車道を飛ばして
名護市にあるホテル「ザ・ブセナテラス」に入りました。
まさにリゾートホテルって感じのホテルで
冷房ガンガンではなく、沖縄の海風を吹き抜けにしたロビーに
異国情緒を感じました。
部屋は、オーシャンビューではなかったけど、
なかなかいい部屋でした。
食事は、朝食のみホテルで食べましたが、
美味しかったです。
プライベートビーチがウソみたいに
「白い砂浜、青い海」だった。
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左上:ホテル「ザ・ブセナテラス」プライベートビーチより(さきこ撮影)
右:プライベートビーチ(さきこ撮影)
左下:青い海(プライベートビーチにて、さきこ撮影) |
4.シーカヤックツアー
2日目の朝、しゅんすけとさきこは、近くの海で
シーカヤック体験ツアーに参加しました。
北海道でダッキ―川下りツアーを既に経験している
二人なので、シーカヤックに乗っても
さして戸惑うことなく、スムーズに進行することができました。
速さでは、体験ツアー参加者で抜群でした。
淡青色の海にカヤックを漕ぎ出すのは、すごく気持ちいいものです。
ホントは、自分の好きなようにゆったりと漕いでいたかったのですが
横風が少し強かったので、一生懸命漕いでないと、
沖まで流されてしまうため、
あんまり余裕はなかったですね。
ちょっとした湾の中を進んで
岩場の洞窟を探検したり、砂浜にカヤックを引き揚げて
シュノーケルで水面を漂ってみたりして
約3時間の体験ツアーは終了。
シュノーケルでの海水浴では、海中の「根」の周りを泳ぐ
小さな魚やらヒトデやらウニやらナマコやらが
見えたのですが、開発が進行している小さな湾だったからか
白い砂地に期待していたようなサンゴは見えなかったですね。
これを見るなら、もうちょっと沖でスキューバダイビングしないと
ダメかもしれないですね。
カヤック自体は楽しかったので、良かったです。
5.国際通り
シーカヤックツアーを終えて、ホテルで一休みした後
車で那覇市に向かいました。
夕食とお土産を見に行きました。
高速は使用せず、途中の万座毛で絶壁を見たりしながら
ゆっくりと向かったのですが、
そういや沖縄で夕陽が見れるのは
この日が最後と気づいて慌てて
夕陽スポットを探しました。
さすが1000`以上南下しているだけあって、
日の入時刻は、遅かったのですが、
写真にあるとおり、「白いビーチで見る夕陽」では
なかったのが残念でした。
ホテルで夕陽まで待っていれば良かったかな?
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急いで撮影した夕陽の景色。
砂浜で迎えられなかったのが、残念。
(さきこ撮影) |
その後、いくつか米軍基地・施設の脇を通り過ぎて
那覇市・国際通りにやってきました。
実は1日目の夕食も国際通りの飲み屋で済ませたのですが
同じ国際通りにある食事処「びん殿内」(ミバエ対策事業所の山城氏ご推薦)で
食事したかったのです。
(うちなー語で言うと「びんどのうち」ではなく
「びんどぅんち」と発音するそうな)
ここで、うちなーグルメを堪能したのでした。
※うちなーグルメについては、後段で。
国際通りは、お土産選びの観光客がたくさんいるのですが
同時に地元の人たちもいて、
変に観光地っぽくしていないとこが気に入りました。
北海道の小樽では、どこに行っても
観光客に「コビる」かのような「観光スポット」が
多くてちょっとウンザリでしたが、
国際通りでは、地元高校生が服を選んでいたり
デートしてたりして、地元の生活に
入り込んだようで良かったです。
そして、この日も深夜、
初泡盛を体験していささかほろ酔いのしゅんすけは
高速を飛ばして、ヘロヘロになりながら
(おいおい)
ホテルに帰ったのでした。
6.平和祈念資料館
最終日は、大きく狂ってしまった1日目の予定を解消すべく
分単位の予定で進行しました。
最初に行ったのが本島の南端に位置する平和祈念資料館。
常設展示では、太平洋戦争勃発の背景を
日清戦争あたりの世界情勢から解説が始まり、
太平洋戦争への流れが分かるようになっていました。
その中で沖縄がどのように位置付けられていて
また戦争に組み込まれて、そして悲劇を生んだのかが
解説文と展示物と映像で理解しやすく展示してありました。
(同時に沖縄の占領統治時代、本土復帰についても
展示されてました)
沖縄にあるために「沖縄戦」だけがクローズアップされているのかと
思ってたけど、全然そういうことはなかった。
太平洋戦争へ流れていく世界情勢についての解説の後は
沖縄戦について。
戦後明かされた様々な「証言」に触れてさきこは涙ぐんでしまいました。
しゅんすけも初めて知る情報に触れることもできて、
襟を正すような気分になりました。
常設展示を抜けると、今までの悲惨で暗い展示物とは
対照的な青い空、青い海が窓一面に広がっていました。
このギャップが、しゅんすけの気持ちを
また新たにするのでした。
ちょうど絶壁沿いに建っていたため、そこから見える
海岸線に「かつて黒い戦艦が一列になって沖縄の人たちを
追い詰めていった様子や崖にへばりつくようにして
逃げる惑う沖縄の人々」の情景が重なってしまいました。
それまで楽しんできた「美しい海」が
何か深い色を湛えた別の色に見えてくる感じでした。
しゅんすけは、戦争関係の資料館には
まだ広島・長崎の原爆資料館くらいしか行ったことが
ないのですが、原爆資料館では
展示場に入った途端に「悲壮感」を感じて圧倒されてしまい
進むにつれて「知る」意欲が
減退していくのを感じていました。
それは、原爆という得体の知れない「何か」によって
起こされた悲劇しか描かれてないからなのではないでしょうか?
今回の平和祈念資料館で言えば、沖縄戦の悲劇しか展示されていないような
イメージです。
今回の資料館では、沖縄戦の悲惨さと同時に
「なぜ沖縄戦の悲劇が起きたのか?」を歴史的にかなり遡って
掘り下げていました。
原爆資料館で言うなら、原爆を生んだ背景=相対論の発見から
原爆開発の知識の海外流出、アメリカの実験等々が
語られていたら、ここまで悲壮感が前面に出てこないのでは
ないかなと思った。
(それとも悲壮感を感じさせるのだけが目的か?
知識を次世代まで残す目的は、それだけでは
達成しえないぞ)
戦争の悲惨さを絶対に風化させたくない思いの強さからか
展示物のプレゼンテーションにもかなり凝った金のかかる
手法が取り入れられていたというのも
良かったです。
(最近建て直されたってのもあるだろうけど)
少し湿っぽくなってしまいましたが、やはり初めて沖縄に
足を踏み入れるのであれば、必ず見ておかなければ
ならないものとして、最終日に駆け込みで
見てみました。
実は、時間の関係で、2時間程度しかいられなかったけど
展示物をちゃんと読んでいると
丸一日は確実にかかると思います。
また、ホントは「平和の礎」とか「ひめゆりの塔」なんかも
見たかったのですが、割愛して那覇市に向かいました。
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左上:展示場の終わりにある「展示むすびのことば」。
・・・響いた・・・
(しゅんすけ撮影)
右:戦争体験証言の部屋。
これをひとつひとつ読んでみたかった。
(しゅんすけ撮影)
左下:展示場を抜けると広がる窓一面の海。
悲惨な情景と重なる・・・。
(しゅんすけ撮影) |
7.首里城
時間がない時間がない!
しゅんすけたちは、平和祈念資料館を後にして
急いで那覇市に逆戻りしました。
今回の旅行最後の見もの「首里城」見学です。
3日間でもっとも暑い太陽の下、車を走らせて首里城近辺に来ました。
特に琉球王国についての知識も無かったので
見るものと言っても「おー赤い」とか「おーキレイ」とかいう感動しか
なかったのだけど、いろいろ写真を撮ってきました。
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左上:弐千円札で有名な「守礼門」。
やはりイメージよか小さかったな。
弐千円札持っていって同じアングルで撮りゃよかった・・・。
(行きずりの兄ちゃん撮影)
右:首里城から望む那覇市の風景。ちょっと露光上げ過ぎ???
(しゅんすけ撮影)
左下:そして「正殿」。
中央を通る道(?)と正殿の建物が垂直に交わっていないことに注意。理由は謎。首里城の建てられている高台自体が向かって左方向に蛇行しているのが原因だろうか???
(さきこ撮影) |
8.うちなーグルメ
ミバエ根絶についての書物を読むにつけ
「ここまでして害虫を根絶させたいニガウリで作る『ゴーヤーチャンプルー』とは
一体なんなのだろうか???」という思いが強くなっていました。
(写真も見ないようにしてた)
そして、初日の夜、国際通りで生まれて初めて
「ゴーヤーチャンプルー」を注文したのです。
出てきたその「モノ」は、緑色の薄切りされたゴーヤーの入った
いわゆる野菜炒め。
初めて口にするその味は、月並みだけど「苦い!」
ただ独特の食感や苦味は、うちなーグルメの最高峰と言っても
過言ではない存在感を発していました。
正直言うと、美味しい部類には入らない味でした。
(しゅんすけは、キュウリに代表されるウリ類は苦手)
大皿一杯に盛り付けられたゴーヤーチャンプルーは
半分以上さきこが「うまいうまい」と言って食べてしまいました。
実際、さきこはゴーヤーチャンプルーの大ファンになってしまったようです。
二日目には、国際通り半ばにある料理屋「びん殿内」で
泡盛とともにゴーヤーチャンプルーを食べました。
2回目のゴーヤーチャンプルーだったけど
前日よか今回の方が美味しかったです。
苦さもあったし、ゴーヤーもサクッとしてました。
(もしかして、その頃にはゴーヤーの苦さが病み付きになっていたか?)
二人とも酔っ払っちゃって、さきこなんて
「沖縄万歳!ゴーヤー万歳!」を連呼してました。
泡盛は、お土産にも購入しましたが
アルコール度数が20〜45度くらいまで幅があって
高い度数の方がコクがあってまろやかで美味しかったです。
国際通りに試飲させてくれる酒屋さんがあって
いろいろ飲んでみて購入しました。
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国際通りにて泡盛のお土産を選ぶ。
それにしても、泡盛のこの多さ!
お土産には、2段目の「古酒」10年ものを
購入した。
(しゅんすけ撮影) |
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泡盛を堪能するさきこ。
沖縄万歳!泡盛万歳!
ゴーヤーチャンプルー万歳!
(しゅんすけ撮影) |
酒と言えば、沖縄のビール「オリオンビール」。
これは、初日の夕食にも飲んだのですが
オリオンビールの美味しさを実感したのは、
残念ながら帰りの空港でした。
飛行機を待っている間、空港で食事したのですが
オリオンビールと沖縄そばを一緒に食べて
そばの美味しさとオリオンビールの飲みやすさを
感じました。
泡が細かいので、とても飲みやすい。
沖縄そばは、そば自体にも増して汁がうまかった。
沖縄には、今回食べられなかった未知の料理がまだまだあるようです。
1日目の飲み屋のおカミさんがしきりに薦めていた
「島ラッキョウ」とかね。
この辺は、次回のお楽しみってことで。
9.気づいたこと
今回沖縄に行って、いくつか気づいたことが
あります。
要は、こっちとの「違い」。
まず何と言っても、車の遅さ。
沖縄はのんびりした風土だということでしたが
まさか幹線道路で40`で走る車がいようとは。
いかにも「走り屋です」的にマフラーなんかいじっちゃってる
車でも40`で走ってるんですよね。
沖縄自動車道では、100`で余裕で他の車をゴボウ抜きできました。
沖縄的に言う「てーげー」ってことなんだろうか。
例の暴行事件の直後だったためか、外国人の姿は
ほとんど見なかったです。
金曜の夜は、40`で走行する自動車を縫うように飛ばす米軍人の
車を見たくらいかな。
米軍の施設は、結構ありました。(当たり前か)
中でも施設のゲートに鳥居を建てて、鳥居の中央に
「エアフォース」(?青地に白星)のマークが描いてあったのには
驚いた。
(それって、共存のつもり?!って感じ)
沖縄は暑い。
さきこにびっくりされるほど汗をかいた。
それに慣れてしまったためか、ゴーヤーの威力なのか
こっちに帰ってきても全然暑さを感じなくなった。
旅行の前は、夜でも「あちーあちー」言ってたからな。
日焼けはあまりしなかった。
車に乗っていることが多かったので、顔はほとんど出発前の色なんだけど
腕はかなり赤くなってしまった。
おおよそ同緯度に位置する小笠原と比較して
やはり湿っぽさを感じた。
(熱帯の風が大陸から吹きこむからなのだそうな)
また、沖縄の島が、石灰岩をベースにできていると思われるのに対し、
小笠原は粘土ベースでできていると思われるため、
地形にもわずかな差が浮きだっていた。
波や風邪の浸食(台風の大雨による浸食?)で
岩が面白い形になっていたのが興味深かった。
1日目にスコールに遭遇した。
晴れていたと思ったら、バケツをひっくり返すような大雨。
そして、また太陽が顔を出す。
車で移動中だったので、濡れることはなかったけど、
道を歩く歩行者が、全然動じていないのに、驚いた。
傘を持って歩く人はおらず、雨が降ってくると
雨宿りする。
こういう光景は、こちらではあんまり見なかった。
雨が降ったら雨宿りなんていうゆったりとした光景が
「てーげー」の気質なのだろうか?
気づいたことはこんなもんかな?
セミは当然ミンミンゼミなどおらず、名も知らないセミが
やかましく鳴いていました。
ツバメは、万座毛にイワツバメを見た。
違いを認識しても、違和感は一切感じなかった。
しゅんすけも沖縄の人(ウチナーンチュ)になれるかな?
エピローグ
総括を一言で言うと、
最初に失った6時間は痛かった・・・。
それはともかく。
初めての土地でまだ全てを理解したわけじゃないけど
沖縄は、北海道より居心地がいい。
それは、観光地にもかかわらずマイペースだからなのか
沖縄の町並みのせいなのか分からないけど。
国際通りにしても、地元民の繁華街であると同時に
観光スポットであるという一体感が
心を和ませたのだろうか?
(この辺は横浜にも通じる特徴だと思う)
北海道では、観光客目当て的な店が多く、
少々ウンザリするところもあった。
でも、ただのリゾートとして沖縄を見るだけでは
やはり不足していると思う。
沖縄には悲しい過去があり、それを乗り越えて
今を築いているというバックグラウンドは理解した方がいい。
その上で、沖縄を見ると、
海はどこまでも深く、空はものすごく高く、そしてさきこ曰く
「愛おしさ」すら感じてしまう。
(「平和祈念資料館」に行ったのは正解でした)
こういうしなやかさ、強さは、古来から貿易の要所として
いろんな人種を吸収してきたことが生んだものなのだろうか?
沖縄の人との垣根を低く感じ、またどうしても
沖縄の人にはなれない歯がゆさを感じるなんて
一見の旅行者としては、幸せな経験で
「得るものあまりある」って感じでしょうかね?
沖縄は、また行きたいです。
そして、深く綺麗な沖縄の海を再度実感してみたいです。
次回の旅行は、まだどこに行くか決まってません。
もしかしたら、沖縄のリピータになっているかも???
<おしまい>
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