東日本国際駅伝大会(3区3キロ)

東京マラソンの抽選に外れてしまったことが判明した翌日、ランナーの集まりに出向くのは、彼女にとって相当の試練だった。既に携帯電話のメールには「○○ちゃんと△△ちゃんは当選した」との情報が流れ、祝福する気持ちと羨望が入り混じっていたのだ。
そのランナーの集まりが、東日本国際駅伝である。
彼も参加するランニングクラブでこの日相模原でおこなわれた駅伝大会に複数の駅伝チームをエントリーした。
彼と彼女は別のチームでエントリーされ、しかも同じ3区(3キロ)を走ることになった。

朝の相模原まではかなり早起きしないといけなかったんだけど、何とか無事起床できて、現地へ向かう。この日はまりこさんもエントリーしていて、違うチームの2区を走る。
会場となった相模原は、今年4月の東日本国際親善マラソンで10キロを走ったところ。いや、あれは苦しい10キロだったわ。でも今回は3キロである。3キロなんて、彼の低い実力でさえ練習レベルの距離なのだから、彼女に言わせれば何をか言わんやな距離なわけで(実際フルマラソンを走りきった人に、3キロのレースはほとんど短距離走である)、マラソンの練習というクラブの意図とはちょっと外れた感じのレースである。
ただ、今回のレースは、お互いがランニングをちょっと本気で始めて以降、初めての直接対決の機会である。フルマラソンを走りきった彼女と、10キロをヘロヘロで走る彼が、その走力と気合で勝負する。果たしてどうなる?!

※昨日の夫婦は今日の敵?の図。

クラブの練習の一環という性質上、内容的には普段のランニング練習の雰囲気。いつも個人参加するレースとは趣きが違っていた。同じチームの人は、クラブの人だけど、実際話したことのない人ばかりだったので、チームの記録がどうのという気持ちはほとんどなかった。あくまで練習として、自分に割り当てられた距離を走ることだけが、目的だった。
だから、レース開始後、1区(5キロ)を走る大勢のランナーが目の前を通り過ぎる頃、3区のメンバーはみんなでウォーミングアップなぞしていた。走るランナーを見ながら、とにかく彼女のチームとタイム差を広げてくれればいいなとは思っていた。

1区が走り出して30分、早いチームなら既に2区(5キロ)を走り終えて、3区に繋ぐ頃だろう。彼と彼女は、第二中継所でチームの2区走者が来るのを待つことにした。
ところが、この中継所、物凄い人で溢れている。
狭い道に3区ランナーが詰め掛けて、押し合い状態。もちろん、人垣の山からはランナーの姿は見えず、いつ自分のチームが入ってくるかなんて全然分からない状態。スピーカーからは走ってきたランナーのゼッケン番号が読み上げられるんだけど、周囲の歓声にかき消されて聞こえない時もあって、だんだんヤキモキしてきた。こんなに人が溢れてて、自分のチームが入ってきたのが分かるだろうか。その時だった。
彼のゼッケン番号を大声で呼んでいるランナーの姿が、人垣の合間にちらりと見えた。そう、確かさっきチームで打ち合わせした時に一緒にいた2区の男性である。そう思うやいなや彼は人垣を掻き分けて、コースに出た。慌てて赤いタスキを受け取り、走り出す。タスキを肩にかける。ついに彼の出番である。

駅伝というのは、ホント恐ろしい。
正月の箱根駅伝はとても面白いけど、客に面白いと思わせる裏側でランナーは相当なプレッシャーを感じているんだというのを、自分で走ってみてこの日実感した。タスキのプレッシャーとはホントにあるんだと実感した。たかが布一枚だけど、たとえたかが2区(5キロ+5キロ)分のランナーが繋いできたに過ぎないと言えども、このタスキをいい成績で繋がなければという思いに支配されてしまう。いや、なんちゃってランナーにさえそんな気持ちにさせるのだから、全国の目に晒される箱根駅伝のランナーの背負うものは、如何ばかりのものか想像を絶する。
つまり、彼は相当のオーバーペースで飛び出した。
ホントに短距離走かってスピードだったので、ほんの数百メートルで早くも息があがってしまう。ペースを戻そうと若干スピードを緩め、息を整えるのだけど、この時、タスキのプレッシャーとは違うプレッシャーが彼を襲う。
彼女はどこだ?
確か彼のスタート直前まで彼のすぐ後ろにいたから、彼より先に出たハズはない。つまり後ろにいるハズである。どのくらい後ろなのかは全然分からないが、彼女の豪脚なら1分や2分の差は縮めてくるハズだ。6月の西湖ロードレースでは、10分後にスタートした西湖2周20キロ組の彼女に、1周10キロ組の彼が抜かれるという信じがたい事件があった。彼女は彼を抜き去った刹那、道を折れて2周目に向かったので、厳密には抜かされていないと信じているが、あの時音も無く忍び寄ってきた彼女に、背中をポンと叩かれた衝撃は今でもトラウマなほどである。あの時の再演は避けなければ。しかも、今回は同じ土俵での短い3キロ勝負である。スタート時のタイム差が彼にとって唯一最大のアドバンテージなのだ。

1キロ地点を通過する頃には、何とか息が戻ってきて、ランニングモードに入る。
ところが同時にスピードが落ちる。他のランナーに抜かれてしまう。
実際ロードレースの出場は6月以来だから、ペース感が鈍っているのは確かで、実際自分が1キロ当たり6分ペースなのか7分ペースなのかも分からない。最初のオーバーペースで時計はキロ当たり5分ペースを告げていた。ペースダウンした現在、自分はこのペースのままで大丈夫なのか?そう思う刹那、ランナーの息遣いが後ろから迫ってくる。彼女か?!思わず振り返ってしまう。
いや、彼女ではない。でも、彼女に近いペースで彼を抜いていった。間違いない、このペースでは確実に抜かれてしまう。彼と彼女のスタート差はどのくらいなんだろう。彼は少しペースを上げてみた。

それにしても、今回のレースには沿道の距離表示がない。
通常のレースでは、「○キロ」なんて看板が立っていて、それによって気持ちを維持したり、ペースを調整したりするんだけど、今回のレースには事前に渡された地図に書いてあっただけで、コースのどこにも距離表示がない。だから、沿道の応援の方が「あと半分ー!」とか「ラスト1キロー!」とか言うのを信じるしかないのだけど、これが全然信じられない。
いや、距離を教えてくれる方の好意は嬉しいし、それによって力をもらえるんだけど、この彼らが教えてくれる「あと○キロ」ってどのくらいホントなのかって思っちゃう。
特に「あと半分ー!」って言ってた人、地図には半分の距離の記載はないわけで、右へ左へ曲がるコースをどう計って「半分」と言っているのか?1キロと2キロの表示を目測しているに過ぎないのでは?などと思ってたら、「ラスト1キロ」の掛け声も信用できなくなっちゃって、「あの角を曲がったらゴールだよ!ラストスパートー!」などという掛け声にも脚を早める気が起きなかった。いや、彼らの好意は嬉しいんだけど、何となく身体が反応しないっていうか・・・。
角を曲がるとたくさんの人だかり。あ、やっぱゴールだったわ。
タスキをはずして、重い足を速める。番号が読み上げられるけど、彼の後の走者は現れない。枯れる声で番号を叫ぶ。人垣の中から4区(2キロ)を受け継ぐ女性ランナーが出てきて、タスキを奪っていった。う〜む、タスキをひったくって行ったという感じで、箱根駅伝のような感動的なタスキリレーの図は一切なかったな。

とにかく終わった。彼は自分の役目を果たしたのだ。
時計の時間は、14分57秒。スタート時に押し忘れ、ゴール時にも少し押し忘れたから、だいたいこんな時間で走ったのだろう・・・ってことは、キロ当たり5分ペースである。彼の能力では異常な速さだ。そんな異常な走りに駆り立てる駅伝、恐るべし。そして異常なペースに駆り立てたもうひとつの要因、彼女はどうなった?
中継所に目をやると、ちょうど彼女が人垣から出てきたところだった。おぉ、とりあえず抜かれないで済んだようだ。

彼と彼女のスタートにどれだけの時間差があったのかは分からないし、彼女は時計をかなりの距離まで押し忘れていたそうだから、彼の曖昧な時計との比較はできないけど、感覚的には彼女はキロ5分を大きく下回る速度で、彼と同様にオーバーペースで走り切ったそうだ。それでも彼の姿は一向に見えなかったようだ。初の駅伝対決は、直接対決のないまま勝ったのか負けたのか分からずに終了し、しかもタイムもよく分からないままという、通常のロードレースで達成感を得るための記録や対決がない幕切れとなった。
なので、もうひとつの達成感を感じるモノ、ビールへの思いを強くしたのはしょうがないことで、同様な思いを持つランナーたちの長蛇の列にイライラして、やっとビールにありつけたのは、彼にとってこの日一番の満足な瞬間であった。

それにしても疲れた。
たかが3キロのレースなのに、普通のロードレースよりも疲れたのが、彼の練習不足を物語っていたのかもしれないけど、彼女もそれなりに疲れたそうだから、やはり駅伝ってのは思ったよりも精神的に厳しいレースのようだった。
相模原からJR横浜線に乗って帰ってきた桜木町では、この日2日目の「横濱JAZZプロムナード」の野外ステージから聞こえるトロンボーンの超絶ソロの真っ只中だった。彼の趣味は音楽なのだが、こんなトコロで慣れないレースで疲労しているのもなんか苛立たしかった。肉体的にも精神的にも疲労した身体には、駅前のコーヒー屋で飲むコーヒーがやっぱり一番だった。
 
※走り終えた直後。お疲れ様〜。
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