2007年4月22日(日)東日本国際親善マラソン
6時前に起床して、桜木町から京浜東北線から横浜線を乗り継いで、相模原にある米軍基地で開催されるロードレースに、彼は出場してきました。
今回の出場は、彼女がハーフ、去年6月以来のロードレース出場となった彼は初の10キロにエントリー。今までトレーニングでさえも走破したことのない10キロだっただけに、かなり緊張してました。目標はタイムではなく、完走だったんだけどね。
ちなみに、今回はまりこさんも同行、まりこさんも初のハーフ挑戦でした。

それにしても、相模原に米軍基地があるなんて知らなかったわ。
基地というから、モノモノしい戦車とか戦闘機とかをイメージしてたけど、補給基地だそうなので、軍事施設というよりもただだだっ広い空き地って印象の強い場所でした。
その基地敷地内を取り巻くようにぐるっと巡る道路が今回のコース。
途中、いろいろとくねくねして、10キロに満たない1周を10キロにしてるんだけど、それにしても広大だわ。基地周辺に林立するマンション群が、際立った富裕・非富裕を比喩しているようで、なんだかなーでした。

基地のゲートで迷彩服に身を包んだ屈強な兵士に、荷物チェックを受ける。
実は、軍事施設内への立ち入りなので、カメラは禁止だったんだよね。レースの度に、その記録を撮っていただけに、かなり残念でした。ま、彼が走りながら撮影できるわけじゃないし、彼がゴールした後に走り続ける彼女を撮影する余力もないだろうから、どの道カメラは用を成さないだろうけどね。
※それにしても、カメラは禁止されてても、最近の携帯電話はカメラが標準装備だから、あまり意味はないようにも思われた。なので、携帯カメラで撮影した今回たった1枚の写真。

さて、軍事施設への立ち入りなんて、そうそうできるコトではないので、今回のロードレースは、レースを単独で開催するというよりも、壮大なお祭の一環で開催されるんじゃないかと勝手に想像してて、レース以外にもいろいろイベントを楽しめるんだろうと思ってたけど、予想に反して、ロードレースを中心とした催し物でしかなかったみたい。
ランナーを対象にしたショップのテントが立てられたりしてたので、それなりに楽しかったけどね。

開会式には、軍隊的というかトラディショナルな衣装に身を包んだ日本の大学生による吹奏楽の演奏なぞあって、両国の国歌なんぞがモノモノしく奏でられた後、まず10キロレース出場の彼がスタート地点に向かう。
果たして、彼は歩くことなく無事10キロを走破できるのか。
道路に埋まったレース出場者の最後方で準備運動してたら、遠くからレーススタートの号砲が聞こえた。10キロレースがスタートした。
ランニングシューズが地面を踏むザッザッザッという音が次第に大きくなっていき、彼の辺りにいるランナーたちがおもむろに歩を進め、歩を早め、そして走り出す。
こうしてレースは、いつも何となく始まる。
彼も前のランナーに合わせて、脚を踏み出す。
その一歩が10キロ先まで続くレースの、自分の第一歩なのである。
自分がエントリーした10キロの距離が、ゴールするまで終わることのない10キロの道のりが、今まさにこの瞬間、ここから始まるのである。
まるで演奏会の始まりのようでもある。
上手からステージに入場し、自分の席に座り、目の前の譜面を確認し、手に持った楽器を確認し、最後に入場してきた指揮者が壇上に上がり、タクトを構え、そして振り下ろされるこの瞬間、目の前に一直線に伸びる終わるまで終わらない楽曲がまさに始まる瞬間のような得も言われぬ感覚と似たような感覚がロードレースのスタートには確かに、ある。

・・・などと、ちょっと感傷的?に言ってる場合ではなかった。
最初は周囲のランナーと調子を合わせて走っていた彼だったけど、1キロも行かない辺りで早くも疲れてきた。かったるくなってきた。なんで、自分はわざわざ相模原くんだりまで来て、疲れるようなことをしているのか。しかも今日は日曜日、本来はサラリーマンに与えられた最後の休息日なのに、なんで自らすすんで疲れる運動をしているのか。う〜ん、このまま駅まで行って、そのまま帰ってしまいたい・・・などと、ぐうたらな彼の真骨頂のネガティブ思考が脳みそに充満する。
普通のレースでは、距離を示す看板が立ってて、「あー、ここが1キロ地点か」などと、自分のペースを確認したりできるのだけど、今回のレースでは看板がほとんどなかった。看板がほとんどないことを知らない彼は、そのうち「1キロ」とか表示された看板が沿道に立ってるだろうと期待して走り続けるものの、一向に1キロ地点は現れず、少しペースを抑えてはいるものの、自分がどの距離まで来たのか分からず、ましてや時計をしてなかったのでどのくらいの時間を走ったのかすらも分からず、次々と現れるネガティブ思考との戦いを続けていたのでした。
程なく倉庫やら事務所やらが立ち並ぶエリアを抜けると、目の前にまっすぐに伸びる一本道が現れた。
ランナーがその道にずーっと連なり、ほとんど豆粒ほどに小さくなった辺りで右に折れていた。一本道の周囲はただの原っぱ。露出した土と芝生だけのただだだっ広い空き地。
うえー、あそこまで行くんかいなー?!
いや、ただでさえネガティブだった彼の疲労がどどっと増してしまいました。

それでも、高まりつつある苦しさがあるレベルまで来ると、ふっと気が楽になった。
走ることがさほど苦でなくなる。
これが顕著に現れることはほとんどないんだけど、今回はちょっとだけそういう瞬間を体感できた。
エンドルフィンの分泌が始まったのか。
ここからは比較的楽で、景色を見たり、他のランナーを見たり、敷地の外周に沿って張り巡らせた鉄条網の外側に建っているマンションの3階から手を振る子供に視線を送ったりしていた。
それでも、苦しさが募ってきた。
何とか苦しくない走り方をしようと模索する中で、いわゆる「腰で走る」感覚を掴むことができた。骨盤の両端から前に出ている糸に引っ張られるような感覚で走ると、意識的に脚を前に出すという感覚の走り方よりも楽になるような気がした。
まだ、フォームとしていい形なのか知らないけど、この日は何となく楽だった。

さて、一体どのくらい走っただろう。
スタート直後から苦しくて、その後にエンドルフィンが出て、それでもやっぱり苦しくて、腰で走る走法で走ってみて意外に走りやすいわと思って、走りに走ったこの長い道のり。
ふと沿道に立てられた看板を視界の端で捕らえた。
5キロ。
がくっ・・・。まだ5キロかいな。
ゴールまであと5キロ・・・ホンマかいな、いや、キッツいわ。

そこからはちょっと無我夢中モードで、あまり記憶していない。
腰を引っ張られるようにして走るのは楽だけど、実は身体に負担になってるのではないかとか、実はビジュアル的に変なフォームに見えるんじゃないかとか、いろいろ考えてたら、程なく「残り2キロ」の看板が見え、そろそろスパートしようかという時に、「ハーフマラソンのスタート、10分前です」のアナウンスが遠くに聞こえた。おお、イカン、彼女のレースが始まってしまうでないの。
ゴール直前で彼女に声援を貰いたい下心一心でここまで走ってたのに、そんな下心があっけなく瓦解。彼のモチベーションもさくっと瓦解。
それでも走る。原っぱの向こうにハーフレース出場者の連なりが見えた。もう少し、もう少し!

大勢のハーフ出場者が道に溢れるその脇を、10キロ出場者が走っていき、それに続いて彼も走った。
ゴールのラインが見えた。スタートを待つ大勢のランナーの中から、彼女の声は彼には届かなかった。そして、ゴール。彼のランニングシューズの紐に結び付けられたICチップがゴール地点で「ピッ」と鳴った。

どぉぉー、終わったぁ・・・。
ゴール地点に設置された時計は、「01”09”・・”」と表示されていた。
1時間9分某秒・・・。お、遅い。思いのほか遅かった。
トレーニングをサボって、なんちゃってランナーとして出場した彼のタイムは、当然彼女のタイムに敵うわけはないのでした。
その後参加賞のTシャツを受け取って、芝生に敷かれたシートの上に倒れこむ。
汗に濡れたウェアを剥ぐように脱ぎ、貰ったTシャツを着た。
スポーツ飲料のペットボトルを一本丸々飲み干した。
そして、倒れこんだまま、眠ってしまった。

彼女が彼の肩を叩いた。
ゴールした彼女が、汗でしとどに濡れて、彼の顔を覗き込んでいた。
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