1.プロローグ
「日本一の夏が待っている」
そんなコピーが目についたのは、まだ6月の初旬でした。
今年の旅行は、しゅんすけの会社で8月にあるXデーの都合や、
チンク祭の予定やさきこの年末Xデーの予定のために、なしにする予定でした。
去年再訪を誓った白馬岳でさえ、今冬の大雪と活発な梅雨前線の影響による大雨のために
断念を決定していました。
今年の夏はどこにも行かない、そんな夏の旅行への欲求が燻るしゅんすけは、
このコピーにココロを捕らえられてしまったのです。

日本一の夏が待っている・・・。
それは、大きな入道雲の下で、屋根に布団を敷き詰めて干している山小屋の風景でした。
降り注ぐ太陽の暑い日差しと山麓から吹き上げるひんやりした風が、とても心地いい。
そんな富士山に、今年は登らなくていいのか?

例年のような「富士山に登りたい」という感情よりも「登らなくていいのか?」という
強い自問がしゅんすけを富士登山へと駆り立てました。
まだ終われない。富士山に行かなくちゃ。
思い立ったしゅんすけは、早速さきことまりこさんに話しをして、
今年の富士登山計画は始まったのでした。
富士山に何か大切なものを忘れてきたような気がするのです。
(単純に雑誌に踊らされてるだけか)

2.出発
8月5日土曜日。
今年の梅雨は、各地に大きな被害をもたらして大変だったけど、
出発日の1週間前というとてもいい時期に梅雨明けしてくれました。
今年の天気には期待できる!と、自ずと力が入ってました。
ところが、前日はしゅんすけもさきこも通常通り残業。
自宅に帰ったのは、既に1時過ぎ。
富士登山の前日はもっと早くに帰って、支度をして、早く寝るものなんだけど、
この日は結局2時過ぎまで起きているハメになってしまいました。
こういう夜を過ごした朝は大抵大寝坊なんだけど、何とか今回は5時に起床。
支度をして6時前には家を出ることができました。

まりこさんを拾って一路、御殿場へ向かいます。
ラジオから流れる渋滞情報では、東名高速道路で既に渋滞が始まっており、
前途に不安がよぎる。
去年は7月だったし、世の中夏休みモードじゃなかったので、
(っていうか梅雨さえも明けてなかった)
道路も富士山の山小屋も混雑してなかったんだけど、今回は思いっきり夏休み期間。
しかも、1週間前の梅雨明けということは、皆さん、夏休みモードに切り替わった最初の
週末ということで、遊びに気合いが入る頃なんだよね。
うえー、こりゃ大変な時期に登山することになってしまった。

渋滞は東名厚木ICまででほぼ解消。
みんな湘南や伊豆に向かったわけか。確かに夏と言えば海。
そんな避暑もいいけど、富士山の冷気もなかなかなんだけどね。
御殿場ICで降りたしゅんすけは、富士山の富士宮口新五合目の駐車場を目指す。
ところが、恐れていたマイカー規制のため、新五合目の駐車場はクルマの進入ができないことが判明。
途中の駐車場で一旦クルマを降りて、シャトルバスで新五合目に向かいます。
いや、このマイカー規制、お盆の時期だけかと思ってたけど、違ってたのね。
要は観光客や登山客の多い時期には、マイカー規制となってしまうよう。
今回のマイカー規制は、まさに8月5日から。
期せずして、繁忙期突入に合わせて、富士登山するというハメになってしまった。

水ヶ塚駐車場でクルマを降り、登山用に着替えをしました。
(この何の変哲もない駐車場の名前を、この旅行記を書いている今現在まで覚えているのには
ワケがあります。これは、後述・・・)
そこからシャトルバスで30分、薄雲のかかる新五合目に到着しました。

※水ヶ塚駐車場にて。

3.八合目まで
富士宮口新五合目で高山に身体を慣らすために、食事などをしてしばし休憩の後、
いよいよ登山道に入ります。
さて、今年はどんな登山になるのやら。
天気は概ね良好。風雨に見舞われる心配はなさそうでした。
また、過去の経験(ジンクス?)から、2回目の富士登山では好天に恵まれるようで、
今回まりこさんが富士登山2回目というのは、少なからず心強い。

不安要素としては、まずしゅんすけの体重増と体力減少。
去年はそれでもジムに行ってそれなりに運動してたけどね。今年はかなりサボってます。
(去年は高山病対策(?)でサプリメントやほうれん草を食べたりして
鉄分を幾ばくか補給してたしね)
さきこの不安要素は、膝痛。
登山者って、登りが得意な人と下りが得意な人がいるんだけど、
さきこは前者で、登りはぐんぐん登っていくのに、下山では足運びが上手くないので、
膝を痛めたりする。去年はこの膝痛が冬まで及んで、大変だった。
今回は膝サポーター付きのスパッツを履いていました。

六合目に到着して、去年とても好評だった富士宮ヤキソバを食べる。
某登山雑誌で五つ星をもらったんだそうで、なかなか美味しい。
(いや、登山雑誌で五つ星の評価が出てもあまり意味はない。登山雑誌なんだから)
そうそう、ここの店のヤキソバも美味しいけど、キノコ茶がとても美味しいことを付記しておく。

さて、六合目から本格的な登山が始まります。
去年衝撃を受けた小屋の間から延々と立ち上る登山道の光景も
2回目のしゅんすけには、精神的ダメージ全然なし。
ところが、登り始めてから間もなく、しゅんすけの不安要素が顔を出し始めた。
息が苦しい。
汗がもの凄い勢いで額から流れ落ちる。
眼鏡をかけている人は共通の不快感だろうけど、額からの汗が眼鏡に落ちるってスゴく嫌なんだよね。
それが、一滴どころかもうだらだらと流れるものだから、最初は拭ってたんだけど、
まるでプールから上がった直後の水中眼鏡のような視界に、もうどうでもよくなっちゃって、
不快感満点で歩き続けました。
しかも、六合目から七合目にかけては、砂利道が続くんだけど、これが不快感をさらに増強する。
踏み出した足に体重をかけると、砂利が崩れて足がズリズリと後退するから、
前に進んでいる気が全然しない。なんか延々とその場歩きをさせられてるよう。
極めつけに、この段階でなぜが睡魔に襲われる。
前日の睡眠不足と空気の薄さで、意識が朦朧としてきました。

前を行くさきこが心配して休憩してくれたけど、いや、この構図、全然改善しないわ。
今回4回目の富士登山だけど、前を行くさきこが振り返って、しゅんすけを見下ろす光景は
相変わらずなのでした。
休憩を挟み、持参したお菓子(糖分補給)を食べ、水を飲み、遅々とした歩みで
何とか七合目に到着しました。
所要時間は去年と変わってなかったな。

七合目の山小屋になぜか雪ダルマ。
この日の明け方に雪が降ったらしい。
(胸に七つの傷を持つ七合目の雪ダルマ・・・)


七合目から先は、岩の道を行く。
吉田口の登山道にも岩の道が続くけど、こちらの方がなんぼか楽。
こういう道は、進んでいる実感があるので、精神的に楽だよな。
ただ、一歩一歩が不規則に大きくなるので、リズムを崩してしまう感じもある。
ここでも、息苦しさは解消せず、これはもはや高山病の一歩手前。
しゅんすけの場合、高山病になると血の気が引いて、手のひらが緑がかってきちゃうんだけど、
この時点では、まだ大丈夫な様子とは言え、かなりキツい状況でした。
富士山の植物や高山植物に目をやる余裕はまったくありませんでした。

※これは七合目辺りの山小屋。

そして、雲の隙間から小さく見えていた八合目の山小屋が徐々に近づいてきて、
ついに到着しました。ここでとりあえず今日の登山は終了になるわけなんだけど、
もうそんな喜びも身体を鼓舞できないくらいキツかった。
とにかく一旦立ち止まって、息を整えて、写真を撮るので精一杯でした。

※今回宿泊した八合目の山小屋。道のりはまだまだ続く。

4.山小屋にて
山小屋で一人に与えられるスペースはとても小さい。
去年は登山客のピークを外れていたためにかなりのスペースを提供されたけど、
マイカー規制の始まったこの日は、さすがに山小屋の宿泊客も多くて
山小屋の人に指し示されたスペースは小さかった。
ピーク時の吉田口よりは何倍もマシだったけどね。

さて、夕食のカレーライスを食べて、一息。
山小屋から少し離れた場所でパイプをくゆらせます。
この日は無風。富士山の八合目ではあり得ない天候です。
パイプの煙がゆっくり立ち上る。
まだ18時くらいだったけど、太陽はとっくに山の稜線の向こうに隠れてしまって
この場所は山の影になっているけど、目の前に広がる雲海は、
まだ太陽の強い日差しを反射していた。
離れている登山客の声が遠くにはっきり聞こえる以外は何も聞こえない。
全くの静寂。
眼下に白い靄のような雲海が遠くまで続き、水平線が青い空とくっきり分かれていた。
急な山の斜面を薄い雲がそのままの形でゆっくり渡っていく。
音もなく肌を撫でるひんやりした空気の動き。
少し風が出てきた。
しゅんすけのいる場所から向こう側は、動くものがまったくいない。
生命を感じさせない冷たい山の風景。
見上げると、青い空に少し太った月が浮かんでいた。
山は、しゅんすけがこの場に来る何年も何十年も前からここにあって、
同じような風景の中にあったわけで、今ここにしゅんすけがいることは
山にとって全く関係のないことなんだよね。
しゅんすけが毎日仕事や生活に追われてアタアタしている時も
富士山のこの風景はそこにあって、同じように静寂で美しい世界だったわけで
こういう世界にお邪魔させてもらえて、一時をそこで過ごせるところが、
登山の面白さなんじゃないだろうか。
少し肌寒くなったけど、しゅんすけはなかなかその場から離れられませんでした。

仮眠室に戻るとさきことまりこさんが早くも眠っていました。
しゅんすけも翌日深夜の出発に備えて身支度をして就寝しました。

22時頃から何となく寝たり醒めたり。
外の景色がどうなっているのかが気になっていました。
前回は月と雲海の幻想的な光景に出会うことができたけど、今回はどうだろうか。
最初の富士登山では、山小屋のアルミサッシを開けた途端、強烈な暴風雨に唖然としたものでした。
深夜1時、意を決して防寒着に着替えて、山小屋を出てみる。
目の前を通り過ぎる登山者の列や地面に丸まるようにして仮眠する登山者の姿は
いつもの山小屋だけど、何がいつもと違うって、完全に無風だったこと。
風の音がしない。
頬にあたる空気は、冷たいけど、それが暖かい布団から出たばかりのしゅんすけには
逆に心地よくもあって、かなり意外でした。
山はまだ好天を維持したままでした。
登山客のヘッドライトの光を逃れて、人気のない暗い場所まで来て、空を見上げました。
まさに満点の星でした。
ここまで星が見えたのは、2回目の登山以来。いや、それ以上か。
いや、スゴイ景色だった。
目を凝らしてみると、西から東にかけて、ぼんやりした白い靄のように
天の川が流れていました。
月は既に西の空に沈んでしまった様子。
何にも邪魔されず、星が光っていました。
天の川から一瞬星が光って流れて消えていきました。
う〜ん、こういう景色が見られるので、富士登山っていいよね。

さて、2時も過ぎると、登山客はそれぞれ起き出して、出発の準備を始めます。
山頂でご来光を拝むためには、早い時間に出発する必要があるので、
しゅんすけたちも身支度を調えて出発したのでした。
さて、ここまで晴れ渡った空を用意してくれて、
富士山はどんなご来光を演出してくれるのか。
早る気を抑えつつ、八合目を出発したのでした。

※分かりにくいけど、深夜の山小屋の風景。この時期、どこの山小屋も不夜城のよう。

5.山頂到着。
しゅんすけの呼吸はどんどん早くなっていきました。
空気が冷たかったので、汗はほとんどかかなかったけど、
空気の薄い高山での行軍がしゅんすけを疲弊させる。
この頃には、山頂でご来光を拝む登山客が登山道を埋め尽くし、
その歩みは遅々として進みませんでした。
しかも、しゅんすけにとっては、一歩一歩がとても重く苦しい。
1時間くらいかけて九合目、さらに1時間かけて九合五勺。
ここは踏ん張りどころです。
九合五勺から歩を進めてしばらくすると、空が白けてきて、
黒い山の稜線が浮かび上がりました。
夜が朝に変わる準備を始めました。
この段階でも、見上げる登山道には、延々と続くヘッドライトの列。
しゅんすけは、山頂でのご来光を諦め、その場で陽が昇るのを待つことにしました。

※徐々に明けゆく空。霞がかった雲海が次第に朱に染まっていく。

白い雲海の水平線がだんだん朱色に染まっていく。
その朱色の底辺が黄色を帯びるようになると、太陽はそこから顔を出すんだけど、
なかなか太陽が出てこない。
もしかして、ここでは太陽が昇るところを見られないのでは?と思った矢先、
下の方で歓声が上がりました。
わー!下の方で赤い陽光が当たってる場所があるじゃないの!
まさにその場所からご来光を臨むことができたのです。
惜しい!あと一歩届かなかった!いや、行き過ぎた!

※富士宮口ではご来光が拝めないかと思ったら、なんとココだけ朝陽を浴びていた。

日の出を前にした人たちの万歳三唱を聞きながら
慌ててそこまで降り、日の出を拝みました。
しゅんすけがその場に立つ頃には、既に太陽は強い光を放って、
赤みが飛んでしまってました。普通の太陽になっちゃってた。
ああ、残念・・・。
※何やらお経のような和歌のような言葉を大声で発しながら、
集団で文字通り拝んでいる人たちがいたけど、ありゃなんなん
若い女の子もいたけど、変な宗教に染まっちゃってんのかね?太陽信仰かい?

※太陽が昇りました。ばんざーい!(?)

太陽の光が徐々に広がっていく中、しゅんすけは重い足取りで登り続け、
ついに山頂の鳥居をくぐったのでした。
いや、長かったわ。

※ついに最後の鳥居をくぐる。疲労は極限に近い。

6.剣が峰
去年の山頂はそりゃ酷かった。
山頂を吹きすさぶ暴風雨を避けて、登山客は山小屋の食堂に座る場所もないほど
ごった返していました。
今年は天候に恵まれたので、割と空いていて、3人は席に座って、
1杯800円もする美味しくないカップ麺と薄味のコーンポタージュを飲んだのでした。
いや、それにしても、ついに山頂到達しましたね。
しかも、山頂はいつになく好天。
これはもう行くしかないでしょ、最高峰・剣が峰へ。

※神社前の様子。大勢の人の中に迷彩服を着た自衛隊の姿も見える。

その前に山小屋の隣の神社に行き、お守りを購入。
五合目から持ってきた金剛杖に登頂の刻印を貰いました。
まりこさんは携えた朱印帳に印を貰っていました。
(なるほど、訪れた神社でこうして朱印を貰うわけか)

剣が峰へ続くお鉢巡りの道は、山頂山小屋の裏手から続いていたんだけど、
山小屋の裏に回って見てみると、意外にも目の前に剣が峰がそびえていた。
なんか拍子抜けだな。
去年は裏手に回った瞬間に強烈な風雨と寒さに襲われて、
剣が峰登頂を諦めた経緯があった。
その時は厚い霧に隠れてたけど、実は剣が峰ってこんなに近かったのね。

※(左)そびえ立つ剣が峰。(右)剣が峰へ至る坂(馬の背)のゆく。

剣が峰に至る馬の背の坂を登る。
右手は火口、左手は崖という怖さもあって、ここは慎重に登っていく。
すると、そんな慎重さのカケラもなく、軽快に坂を駆け下りていく人もいて、なんだかな。
いや、火口のデカさと崖の急斜面を見たら、そんな大胆なコトできませんて。
しゅんすけの疲労はかなり大きくなってました。
でも、この坂が日本で一番高いところにある坂なんだ、
日本ではこの坂よりも高い場所に坂はないんだと言い聞かせつつ、何とか山頂へ到達できました。
山頂の旧気象庁の測候所は、今や無人の施設になっており、
シンボリックな球状の観測ドームは撤去されてしまってて、早くも廃墟チックな雰囲気を
醸し出していました。
その測候所に「日本最高峰富士山剣が峰」の記念碑はあるのでした。
記念写真の撮影には、順番待ちしているほど混み合っていたけど、
2年越しの目標、剣が峰記念碑での記念写真を達成できました。

※(左)剣が峰から見下ろす。中央に見えるのは富士宮口頂上の山小屋とか神社。
(右)再びここで写真を撮ることができました。自分に拍手!

その後、何となしに剣が峰に留まっていたしゅんすけたち。
測候所の木造建物に当たる陽光が気持ちよくて、しばし眠ってしまいました。
日本で一番高い場所で、登山靴も靴下も脱ぎ捨てて、日向ぼっこ。
コレ、最高に気持ちよかった。

※山頂の施設でしばしの仮眠。ぽかぽかの陽光が気持ちいい。ダルダル夫婦。

7.お鉢巡り・下山へ
しゅんすけとしては、このまま日向ぼっこをしていたかったんだけど、
ま、山頂まで来たらお鉢巡りしないとね。
疲労困憊な身体にむち打って、しゅんすけたちは歩き出したのでした。
いや、キツかったわ。
ほとんど朦朧としてお鉢巡りしてたね。
(この先余裕を持って富士登山できるようになることなんてあるんだろうか)

※火口を巡るお鉢巡り。雲海を背にして。

吉田口の山頂山小屋の周辺は、ここは湘南の海の家かってくらいお土産屋が並び、
スピーカーからは流行の音楽が大音量で流れ、店の兄ちゃんの掛け声が喧しかった。
さすが富士山の原宿通りと言われるだけはある。
キーホルダーにもポスターにも興味がなかったので、全部やり過ごしたけどね。

御殿場口では、何やら自衛隊の人たちが集まっていました。
今回の登山道でもかなりの自衛隊の人に会いましたが、あれはなんだったのか?
重い足を引きずりながら、お鉢巡りを終え、富士宮口まで戻ってくると、
テレビカメラが設置されていて、何やらイベントの様子。
準備作業中の自衛隊員に聞いてみると、「富士登山駅伝」の準備だそうな。
世の中にゃスゲーことをやる人もいるもんだ。

さて、いよいよ下山です。
いや、早く下りたい。下りて、この忌々しい厚着と靴を脱ぎ捨てたい。
その一心で早々に下山を開始しました。

前回は割とスムーズに下りて来られたようだけど、今回はどうにも時間がかかりました。
しゅんすけも下るのは体力的に楽だったけど、それでも疲労の蓄積が効いてきて、
腿の筋肉痛も厳しくなってきました。
途中立ち寄った山小屋で、深夜山小屋を出る時に貰った弁当を食べる。
ふと薄暗い山小屋から外を見ると、青い空に大きな入道雲が浮かんでいました。
これは、6月に雑誌で見た「日本一の夏」の風景でした。


さきこの膝痛は心配だったけど、どうも大丈夫みたい。
大丈夫というか、さきこは負担の掛からない足運びを見つけたみたいで、
まるでクロスカントリーの選手のようにぴょんぴょんと軽々しく下りて行きました。
ちょ、ちょっと待ってーって感じでした。

昨日に引き続き天気が良くて、しかも南向きの富士宮口は、昼時になると強い日差しに
さらされる。着ていた服がどんどん軽くなっていく。
そして、雲の隙間から小さな屋根が近づいてくる。
かなり時間がかかったけど、ついに六合目の山小屋まで下りてきたのでした。
もうここからは楽。
平坦に近い道を新五合目の登山口まで歩いてきました。
その道中は、今回の富士登山を振り返るとてもいい時間でした。

8.天国篇
今回の富士登山は、とても幸運に恵まれた。
なんせ風雨が一切なかった。
これは、今までの富士登山の中で最高の天気と言っていい。
このおかげで、満点の星、天の川、流れ星を見ることができて、これがとても嬉しかった。
ご来光を正面で見られなかったにしても、雲海の水平線が徐々に朱に染まっていく様子は
神々しささえ感じたのでした。
また、風雨どころか、無風に近いのも奇跡的だったかも。
しゅんすけが八合目の山小屋で人ゴミから離れてパイプをくゆらせていた時、
煙は風に吹き飛んでいくことがなかった。その時のしゅんすけの格好は、Tシャツ1枚。
陽の陰った富士山でここまで薄着でいられたのも、また奇跡的でした。
山頂での仮眠。まさに天国に一番近いところで、不自由な登山靴から解放されたひとときでした。

今回の登山、確かに登りはキツかった。
酸素不足と寝不足で意識は朦朧としてくるし、汗は止めどなく流れるし。
下山もさらっと書いちゃったけど、苦しかった。
まさに地獄の苦しみを味わったと言っていいかもしれない。

ひとときの幸福感とダラダラと続く苦痛。
これが今回の感想。
まさに地獄と天国が表裏一体になった登山でした。
でも、これが富士登山なんだろうな。苦しいだけ、気持ちいいだけでは絶対ない。
そんな思いに至る時、しゅんすけは富士登山の本質の部分にちょっとだけでも到達したのかも
しれない。4回目の登山にして初めて触れた富士山の素晴らしさ。
星や夜明けの景色や雲海などの見たかった景色と、山頂での幸福なひとときは、
しゅんすけが富士山に忘れてきた何かをすべて提供してくれたような気がしました。
もはや富士登山で求めるものは、何もない。
しゅんすけの富士登山は、これでひとつの区切りを付けたんだと思いました。
いろいろあった富士登山だけど、今回の旅行記を「天国篇」として、
最終回にしようと思いました。
ありがとう、富士山。
もう来ないけど、あなたの姿は、いつでもしゅんすけを魅了して止まない。
その魅力は永遠である。ありがとう、そして、さようなら。

カラ松に覆われたアーチを抜けると、新五合目の登山口に到達。
万歳三唱。
しゅんすけの富士登山は、こうして最後の幕を閉じる・・・ハズでした。


9.でも、地獄篇
下山して一休み。アイスなんか食べちゃって、とりあえず下山の余韻に浸る。
そうは言っても時間がない。
この後、クルマの待つ水ヶ塚駐車場までシャトルバスで戻り、
軽装に着替えて、まず温泉に行き、汚れた身体を洗い流す。
次に富士登山ファイナルステージを終えた記念に懐かしの沼津まで行って
美味しい寿司をたらふく食べる。
下山時刻が2時を回っていたため、早々にシャトルバスに乗り、
駐車場を目指しました。

シャトルバスの中では、気分は既に寿司屋。
しゅんすけお気に入りの寿司屋では、何を食べようか、横浜の寿司屋ではどうしても
水っぽくなる近海魚だけど、沼津では身の引き締まった近海魚を安く食べられる。
もう1年以上、横浜のなんちゃって寿司で我慢してきたんだから、
ここは気合いを入れて食べちゃうもんね!と、バスに揺られて夢うつつに考えていました。
ところが、です。
事件はバスを降りて、クルマへ向かう道中に起こりました。
クルマの鍵がない。

行きのシャトルバスに乗り込む際に、失しちゃいけないので、
復路のバスチケットと一緒にバッグのポケットに入れて、
確かにファスナーをかけたにも拘わらず、そのポケットには鍵が入っていませんでした。
嫌な汗が流れてきました。
いや、寿司とか言ってる場合じゃない。
見つけなきゃ・・・帰れない。
焦ってバッグの中をかき回して探しましたが、ない。
ズボンのポケットもリュックの中も全部捜索したけど、鍵は見あたらない。
もしかして・・・?シャトルバスに乗る際に復路のチケットを取り出す時に
一緒にぽろっと出てきて、地面に落としちゃったのかもしれない。
その可能性はたぶん、高い。

しゅんすけはやむを得ず、もう一度シャトルバスに乗り込みました。
さっきまでいた新五合目に向かったのです。

新五合目のバス停留所。係員に事情を話しても、鍵は見ていないという。
登山口の警官詰め所に行っても見ていないという。
しゅんすけは、歩いてきた道、さっきアイスを食べた場所を隈なく探しました。
バスの中も探しました。でも、見あたらない。

やむを得ず、JAFを呼ぶことにしました。
JAFからクルマの鍵を作ってくれる業者に連絡し、とりあえず鍵を再製するしか
方法はないようです。
ところがしゅんすけの携帯電話は、2日間の登山には耐えられなかったようで、
充電池の残量がほとんどなくなってました。
そこでさきこに電話。もう一度荷物を探して貰おうと思いました。
ところが、さきこの電話もまりこさんの電話も見事に圏外。
とにかくJAFに電話しようと、通話ボタンを押した瞬間に「充電してください」の言葉を残して、
携帯電話は静かに息を引き取りました。
だー!?もう公衆電話しかねー!
幸い登山口には、公衆電話があったので、そこからJAFに連絡を取り、
鍵を再製してくれる業者を紹介してもらいました。
(JAFは鍵開けはするけど、鍵の再製はしてくれない)
最初にJAFから紹介された業者は、日曜だから休みのようで、
かなり焦ったけど、2つ目に紹介してもらった富士市の業者は営業していてくれて、
すぐに向かってくれるとのこと。
何とか帰れそうかな。
空気の薄いところで、いろいろ頭を回転させたので、気分が悪くなっちゃったよ。

再びシャトルバスで水ヶ塚駐車場へ向かう。
その間、鍵の業者はホントに鍵を再製してくれるのだろうか?やっぱできないとか言われないか?
鍵の再製にかかるお金をさきこは所持しているだろうか?
ああ、こんなことなら富士山で高いジュースとか買いまくらなきゃ良かったなどと
いろいろ考えてました。そして、なぜこんなことが起こったのか考えてました。

しゅんすけはさっきまでもう富士山には来ないと思ってた。
素晴らしいものをたくさんくれた富士山に対して、
「もう見るべきものは何もなくなったので、もう富士山には来ない」なんて思ってた。
これが人なら、やはり悲しむだろうな。
霊峰富士には何かニンゲン臭い部分があると常々思ってたけど、
もしかしてもう来ないなんて言うしゅんすけを戒めているのか。
バカバカしい話しだけど、ちょっと信じちゃう部分も否定できない。
富士山ってそういう気分になっちゃうところらしいです。

鍵屋は予想よりも早く到着して、さっさと鍵を再製して、風のように去っていきました。
鍵は見事に復活し、エンジンがかかりました。
いや、良かった・・・。こんな場所じゃ野宿もできなかったからね。

こんな不運は富士山の仕業?
バカバカしい話しなのは分かってても、なぜかさきこも同意見でした。
駐車場から見上げる富士山は、朱色の夕日を背に受けて、大きな存在感がありました。

10.エピローグ
その後、近くの日帰り温泉を探したら、期せずして須走口の目の前に温泉があり、
気持ちよく湯船に身体を浸すことができました。
須走口の目の前なので、客はほとんど登山客。
う〜ん、こんな温泉に来てしまったのも、富士山の仕業?
否が応にも須走口から登山してみたくなっちゃう。
温泉の食堂で美味しくない焼き魚なぞ食べて、帰途に就くことにしました。
(しゅんすけの失態の責任で寿司はなし・・・とほほ)

今回は、しゅんすけの事前準備が全くできてませんでした。
体力作りをちゃんとしないと美しい景色も堪能できなくなっちゃうことを実感。
これからは体力をしっかり付けておくことにしよう。
さきこの膝痛の不安要素はほぼなくなった。
帰宅して1日経った今日でも、さきこの膝に変調は見られない。
もしかしたら、下山に膝に負担のくる須走口もアリかもしれないね。
一旦来年の登山はなしにしようと思ったけど、さてどうだろう。
「日本一の夏」は確かに富士山にあった。
もう一度違う登山道から富士山を見てみてもいいかもしれない。
また違う「日本一の夏」に出会えるかもしれない。
高速道路を走るしゅんすけの視界の端に、闇夜に浮かぶ富士山の影が映りました。
その山腹に小さな光の点が見えました。
それは、その瞬間もなお、登山客でごった返す山小屋の明かりなのかもしれないのでした。

おしまい。

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