2009年5月3日(日)〜4日(月祝)、しまなみ海道サイクリング
広島の尾道から瀬戸内海を渡って四国愛媛の今治に至る6つの島を結ぶ海の道、しまなみ海道。自動車専用道路の巨大な橋の下を歩行者や自転車でも通ることができて、これがしまなみ海道を渡るウルトラマラソンやサイクリングに使われるわけだけど、しゅんすけがこの海の道の存在を知ったのは、さきこが今年から開催中止が決定したウルトラマラソンの情報を仕入れてきたことだった。福山から出発して尾道経由でしまなみ海道を渡るウルトラマラソンは、どういう経緯か去年を最後に今年から開催されないことになっちゃったようで、さきこはそれを非常に残念がっており、それだったら自転車で走ってやろうとここから自転車で渡る計画がスタートしたわけである。今年の1月頃だったから、もう5ヶ月も前のことである。
この計画から某ランニングクラブのメンバーの参加を経て、いつの間にか自転車好きが集まる14名もの集団になったわけだ。このうちサイクリングするメンバーが11人。11台もの自転車を連ねた、しまなみ海道往復160キロのサイクリングが実現することなったのだ。
修学旅行で一度だけ行ったきりの瀬戸内海。
覚えているのは広島から高速船に乗っていつの間にか松山に着いていたという記憶だけで、瀬戸内海の島々の景色はオボロ気にしか覚えていない。それでも確かにキレイな景色だったことだけは覚えていた。
また同じ頃に観た映画。尾道を舞台にしたその映画の景色は、その風情ある港町の街並を強く記憶に刻んでくれた。思春期のしゅんすけには非常に印象に残った映像であった。いつか尾道に行きたいなーと思ったものだった。その尾道の街が、しまなみ海道の出発点である。しゅんすけのテンションも否が応にも高まろうというものである。
こういう時に役立つのがしゅんすけの会社のツテである。
新幹線のチケット手配からホテルの予約までほとんど担当者にお任せして、しかも値引きまでしてくれて、新幹線・宿泊費込みでかなり安いプランを組んでくれた。感謝、である。
この旅の行程はざっくりと言えばこんな感じである。
新幹線で福山を経由して在来線で尾道に至り、瀬戸内海に浮かぶ6つの島、向島(むこうじま)、因島(いんのしま)、生口島(いくちじま)、大三島(おおみしま)、伯方島(はかたじま)、大島(おおしま)を経て、四国の今治まで自転車で走る。自転車がないメンバーは福山で下車してレンタカーを手配して尾道から合流、ドライブでしまなみ海道を堪能する。
自動車専用道路を走るクルマ組は行程的に大きな問題はない。それどころか、あまり早く今治に着いてもしょうがないので、足を伸ばして松山の道後温泉まで行こうかなんて話していた。しかし、自転車組は、いろんな不安要素を抱えていた。ロングライド経験のないメンバーも含め、経験や体力に差のあるメンバーが事故なく無事に80キロを走り切れるのか、走り切れたとしてもその所要時間は翌日の復路に大きく影響するわけで、つまりあまりにも時間がかかるようだと帰りの新幹線に間に合わないのではないか、そもそも自転車11台を伴った14人もの集団が乗り込んでくる新幹線の狭い車内に自転車をキチンと収納できるのか、天気はどうか、そういや1日目の朝は全員ちゃんと起床できるのだろうか・・・と不安な点はどんどん広がっていった。旅の行程の中でこれらの不安点をひとつひとつクリアしていくことが、しゅんすけのこの旅行そのものであった。そう思うと、不安点がなくなることは旅の終わりを意味しており、それはそれで寂しいものだった。
旅の初日、5月3日3時30分起床。まずは寝坊せずに起きられたことに安堵しつつ、身支度を調える。6時18分の新幹線に間に合うためには始発の地下鉄に乗る必要があった。サイクリングには似つかわしくないほどの少し大きめの荷物(クルマ組に一部運搬をお願いするつもりだった)を持って、自宅前で自転車にまたがった。サイクルコンピュータのカウンターをゼロに戻す。しゅんすけのサイクリングはまさに今ここから始まるわけである。
新横浜では集合時間にメンバーが揃わず、どうしたのかと思ったら「東戸塚から自走してきました」などと早くも猛者ぶりを発揮しちゃった人がいたりして、新幹線に乗り込んでは、自転車がうまく収納できなくて、既に走り出した車内で連結部やシートの後部に収納しようとがちゃがちゃ格闘する光景が見られつつも、何とか無事に車内に落ち着くことができた。とりあえず一息つき、まずは旅が順調に滑り出したことに安堵した。
※自転車を連結部に収納したと言っても、車両の出入り口の辺りに立て掛けるしかなくて、停車駅のホームの位置によっては開閉するドアの反対側に自転車を移動させないといけないわけで、今回は名古屋以外は福山まではすべて左側のドアが開閉するから、新幹線が名古屋を出たら自転車を右側の出入り口に集めるだけで良かったけど、車掌さんに事情を話したりしないといけないので、これはこれでなかなか面倒なことであった。(たぶん、これからも新幹線移動をすると思うので、備忘録的に書いておく)

※新横浜駅にて。まだ来ないメンバーがいる。
3時間の長旅を経て、福山で新幹線を降り、在来線で尾道へ。
尾道か、いや感慨深いものがあるわ。
駅前から巨大なクレーンが見える。造船業の盛んな街の風景だけど、その工場や巨大なクレーンが運河を思わせる川の対岸にあるように見えて、実はこの川が瀬戸内海、対岸は最初の島、向島なのに気づいた。いや、すっごく近い島だな、今まで誰もこの島との間を埋め立てようと思わなかったのかな。この対岸の島と本州を結ぶのが連絡船で、某映画でもお馴染みで、これに乗ることができるのはちょっと感動である。某映画ではこの連絡船が埠頭に接岸し、タラップが下りるとクルマや自転車が一斉に走り出すという光景だったけど、この点はまさに映画そのもので「おおっ!映画と同じだー!」と一人でハシャいでいた。

※(左)尾道駅に到着!(右)まずは記念写真。

※尾道駅からの風景。向こうに見える木々やクレーンは向島である。近っ!?

※(左)駅前で自転車を組み立てる光景。(右)クルマ組も合流して撮影。

※(左)いよいよ向島へ。ちょっとウレシイ。(中・右)連絡線が近づいてきた。

(左・右)え、映画と同じだー!

※改めて尾道を振り返る。
向島に到着し、自転車が隊列を組んで走り出す。実質的にはここからがしまなみ海道サイクリングの開始である。
時計は11時頃である。
この日は雲が厚く空を覆っていたものの、雨の心配はなさそうで、強い風や陽差しがない分、サイクリングには文句なしの陽気。自転車は快調に進んでいく。島を4分の1ほどを回る道を走ると、海沿いの道に出た。海岸の向こうに隣の島が見えるんだけど、とにかく近い。島と島を隔てる海(水道というらしい)の色はかなり深い色をしていて、この距離にしてそれなりに水深があることを想像させる。近い島なのに隔絶された感覚は、しゅんすけにはかなり新鮮であった。後述するけど、「海」というものの感覚というか印象がまったく異なる世界である。しかも時折現われる美しい砂浜は独特な色をしていて、これもしゅんすけには新鮮であった。
海岸線をしばらく走ると大きな橋が見えてきた。次の島、因島を結ぶ因島大橋である。
かなり高い橋で、海沿いの道からこの高さまで上るために坂道を上ることになった。因島大橋をくぐって300メートルくらい走った先に自転車専用の道が用意されていて、この坂道を上ると因島大橋の車道の下を通る道に出る。林の中を進む坂道は、自転車で走るにはキツさはなく、それでも着実に標高が高くなっていて、これはまさに自転車で走るために絶妙な斜度を保ちつつ整備されたと言えるだろう。当初は橋と同じ高さに上るためにどれだけの激坂かと思ってたけど、この不安はいい形で見事に裏切られた。

※因島大橋を臨む。

※因島大橋を渡る。上は自動車専用道路。
因島を進む。
海がとにかくキレイで、思わず規定のサイクリングロードを外れて海沿いの道を進むことになった。いやどうせ島の向こう側で橋と合流するから大丈夫なのだ。途中のコンビニで休憩を取る。
ちょっと遠回りだったけど、次の島、生口島を結ぶ橋が見えた。生口島で名物のたこ飯を食べることにした。クルマで先行する組は既にたこ飯に舌鼓だそうで、既に昼時を過ぎた自転車組もあともう一息である。

※(左)休憩中(因島のコンビニにて)。(右)生口橋にて。

※(左・右)生口橋にて。
生口島、これで島は3つ目である。島の雰囲気も先ほどの尾道とは変わってきた。巨大な造船工場が建ち並ぶ工場地帯的雰囲気があった尾道と違い、こちらは田舎な風情である。とは言え走っていると田舎的景色の中に突如として造船工場が現われたりするのが意外であったが、着実に街並ののどか度合いは増加している。
昼食を食べようとした耕三寺というお寺の前には、日光東照宮か?ってほどの観光客とお土産屋が並んでいた。ド派手なお寺の極彩色はなんか下手な観光地を思わせたが、帰宅後調べてみるとこの耕三寺は昭和初期に軍需産業で成功した人が建てたんだそうで、まあ成金の酔狂に近いものはあったな。ちなみにたこ飯はなかなかの美味であったが、量が少ないことと時間がかかることが玉に瑕である。こういう場所でファミレス的サービスは期待すべくもないが。
次は大三島である。しかし、ここでかなり時間ロスをしていることが分かっていた。11時頃に尾道を出て、既に15時近く。当初は17時に今治に到着する予定であったが、残り30キロとは言え、スケジュールからはかなり遅れていた。ここから少々スピードを上げていかねばなるまいと思いつつ、走りを進めるほどに写真を撮っておきたいポイントは増えていくし、少々疲労も溜まってきて走行時25キロペースを維持するのは難しく、だいたい20キロ強のスピードでないと後続が切れる状態になってきた。少し焦っていたが、まあ夕食に予約していた店に19時までに到着すればいいわけだと思い直して、サイクリングを楽しんだ。

※(左・右)多々羅大橋にて。

※(左)サイクリングロードをゆく。(右)大三島大橋。向こうは伯方島。

(左)さきこがいる島、左に見える島、向こうの島。全部別々の島っす。
(右)走るさきこ。
伯方島と言えば塩である。ということで、名物「伯方の塩ラーメン」を食べたかったのだけど、時間的に難しく、やむを得ず断念。塩ラーメンを食べるのはしゅんすけとしてはぜひやっておきたいコトだったんだけど、ここはやむを得ず「伯方の塩アイス」で我慢。いやでも非常に美味いアイスであった。

※(左)伯方島で記念撮影。向こうに見えるのは伯方・大島大橋。
(右)伯方の塩ソフトを食べるさきこ。
最後の島、大島である。この島では上陸後最初だけ海沿いを走るものの、そのほとんどは島を縦貫する道路の走行となる。島自体がそれなりの山である瀬戸内海の島々だけに、島を縦貫する道はそれなりの坂があるんだろうと覚悟していたけど、案の定、目の前に長い坂が現われて辟易した。それでも自転車で走るにはそれなりに楽しい坂である。この程度の斜度が、それなりのスピードを維持しつつ、それなりにキツく、それなりの達成感を得ることができるのでいい。下りは同じ程度の斜度の下り坂で、これも40キロそこそこのスピードしか出ないので、楽しく爽快に走ることができるわけである。長い坂を上り切ったところで、茂った木々の向こうに巨大な塔のようなものが見えた。あれは最後にして最大の橋、来島海峡大橋である。坂を下っていくと、その全貌が次第に明らかになる。今までの橋は主塔と呼ばれるワイヤーを支える塔が大抵2つだったけど、見えてきた来島海峡大橋は主塔が6つ。もうそれだけでスゴい。ココに来てラスボス登場の感がある。
橋を渡るために同じ高さまで坂道を上る。さすがに巨大な橋だけあって、橋までの上り坂は長いけど、傾斜は他の橋の時と同様、自転車乗りに配慮してあまりキツくない。目線が上がるにつれて見晴らしがどんどん良くなっていく。そして、遠くの空がほんのり朱色に染まっているのが見えた。
橋はホントに長かった。幸いこの日は風が強くなかったので良かったけど、これで強風だったりしたら結構怖いかもな。橋の向こうに街が見えてきた。あれが今治の街だろうか。ついに自分の足で四国に到達することができるわけである。これはちょっとウレシイ感動である。
それにしてもこうして高いところから見渡すと瀬戸内海にはホントに島が多いことが分かる。小さな島にもそれなりの集落があって人の生活がある。交通機関は船であろう。こうした島を見ていて、その隔絶された感じが物凄く印象に残った。こういう島が大小で何十とあるわけで、こういう環境下では独自の風習というか伝統が生まれたりするんだろうな。しゅんすけはその辺の歴史的、民族的知識はまったく持ち合わせていないから勝手なことは言えないけど、思い出すのはつかこうへい作の「広島に原爆を落とす日」である。美しい島々だからこそ、ついその背後にドス黒いものを想像してしまう。
18時、こうしてしゅんすけたちは来島海峡大橋を渡り切り、ついに四国上陸を果たしたのだった。
ここから10キロ程度で今治駅である。70キロ以上を走ってきたしゅんすけたちにとっては大した距離ではなかったな。それよりも尾道を出て走り尽くしてきた充実感の方が大きかった。
19時近くになってやっと今治駅に到着したのだった。

※(左)大島から来島海峡大橋を臨む。(右)往路最後の橋に臨むさきこ。

※(左)どこの島にも陸路からは辿り着けない砂浜がある。まさにプライベートビーチ。
(右)来島海峡大橋を走るさきこ。

※遠くの空がほんのり朱色に染まっていた。
今治駅で記念撮影した後に向かったホテルは、周囲の雰囲気からはかなり浮いた感じの豪華な建物だった。う〜ん、こんないい感じのホテルだったのか・・・と思う間もなく、部屋に入って急いでシャワーを浴び、夕食を食べに出かけた。一緒に行ったクルマ組の方が地元のツテで美味しい店を用意してくれていたんだけど、旅の達成感のためについつい飲み過ぎてしまい、強い眠気に襲われてホテルに辿り着き、ライトアップされた来島海峡大橋の夜景や大浴場を堪能することなくバタンキューであった。

※今治駅に到着!やりました!

※夜は美食に舌鼓。でも帰ってバタンキュー。
翌日の朝、5時30分。部屋に集合して考え込むメンバーたち。
外は既に小雨が降っていて、このまま晴れるかどうか分からない。このまま走り出して雨中サイクリングにするか、潔く諦めて高速バスかなんかに乗って尾道へ向かうか。かなり迷う決断を迫られていた。10分ごとに更新されるアメダスの実況では、今治はこのままでは完全に雨のエリアに入るが、尾道は雨雲の端にかかる程度のようだった。不安は残るがこれは行けるかもしれない。
7時前、小雨の中を走り出す自転車乗りのメンバー。ここから80キロ先の尾道を目指す。
小雨の中を走るのはなかなかキツいものがある。雨に打たれるという精神的苦痛と自転車がみるみる汚れていくという精神衛生的苦痛、身体が濡れて体温が奪われるという純粋に肉体的苦痛がしゅんすけを襲う。いや、この先80キロの間ずっとこれだとかなり厳しいなーと思いつつ走る。背負ったメッセンジャーバッグを伝って雨水でパンツが濡れて、さらに一層気持ちが萎えた。
しかし、来島海峡大橋に戻る頃には小雨がさらに弱まり、島を渡るにつれて完全に雨が止み、アスファルトが乾いてくるようになった。そのうち雲の中でひときわ明るい丸い部分が見えてきて、これは雲に隠れた太陽であることが分かり、俄然気持ちが高くなってきた。うん、このまま行けそうである。

※(左)走り出したさきこ。撮影するしゅんすけの肩口に雨滴。
(右)来島海峡大橋まで来た。

※橋を越えてちょっと小振りになったか?
走っていて気づいたんだけど、瀬戸内海の浜辺では波が打ち寄せるということがない。
しゅんすけの知っている湘南の海も東京湾の三浦海岸でも沼津の海でも、砂浜には波が必ず打ち寄せていた。沼津で気持ち悪いほど海が凪いでいた時があったけど、その時だって親指の長さ程度の小さな波が申し訳程度にザッと打ち寄せてたし、山中湖のボート乗り場なんかでも湖のくせに波が打ち寄せてた。しかし、瀬戸内海のキレイな砂浜には波が打ち寄せなくて、まるで風呂に張ったお湯のように浜辺でたゆたっているだけである。それだけ水深が深いということかもしれない。急激に深くなってると波は立たないからね。その証拠に、島と島の間の水道は風もないのに海面がゆらゆら蠢いている感じで、それは強い潮の流れの存在を意味していた。刻々と表情を変える海面の様相、時折白く泡立つこともあって、その流れの強さが垣間見ることができる。だからこそ海賊が跋扈できるんだろうね。たとえば複雑な潮の流れのために入り込むことが難しい入り江とかあって、島の地形も原因して誰にも発見できないその場所が海賊の根城だった・・・とかね。なんか想像力をかき立てられるというか、脳みそに栄養がいってる感じで、シナプスがそこここでパチパチいってる感じ。

※(左)よく見ると海流がスゴいことになってる。
(右)伯方・大島大橋を臨む。

※(左)伯方・大島大橋を臨む。(右)サイクリングロードをゆく。

※伯方・大島大橋で伯方島へ。
伯方島で休憩して、また塩アイスを食べつつお土産を購入した。
雨が止んだので不安要素はひとつ解消されたけど、最大の不安はまだ解消されたわけではなかった。それは、新幹線の時刻に間に合うかということ。
16時31分、福山発。輪行できるように自転車を分解したり、着替えたり、お土産買ったりするので、少なくとも15時には尾道に着いていたい。いや昼食を食べる時間を考慮して14時くらいか。
時間がないといいつつも絶景ポイントでの撮影はしっかり押さえつつ、当面の目標である生口島のご当地コロッケを目指す。なかなか美味なコロッケであった。
この辺りになると先ほどの雨が嘘のようで、雲が多いながらも時折陽差しが出たりして、昨日よりも天気がいいのではという感じになってきた。朝の段階で断念しなくて良かったわー。
こうして島をひとつひとつパスしていき、ついに因島大橋に至る。因島から向島への橋は、しまなみ海道最後の橋である。もはや橋を越えることはないと思うと、長い旅がだんだん終末に向かっているのが実感できた。

※さきこがゆく。


※(左)多々羅大橋。鳴き龍という現象(?)を実証中。(右)多々羅大橋を臨んで。

※(左)大福を食すさきこ。(右)コロッケを食すさきこ。

※(左)溜息の出る風景を走る。(右)だんだん暑くなってきた。

※(左)生口橋が見えてきた。(右)なんか迫力の橋。

※最後の橋、因島大橋が見えた。

※(左)因島大橋のたもとで休憩。(右)その上には自動車専用道路。
向島へ上陸。時間は13時を過ぎた辺り。この島は10キロ弱なので、尾道に14時前に到着することはできるだろう。復路は何とか予定通りに走ることができたというわけである。
そうなると気分にも余裕が出てくるのか、沿道で即売していた「でこぽん」という柑橘果物を購入したりして、昼食がだんだん気になってきた。伯方で塩ラーメンを食べられなかったから、尾道ラーメンくらいは食べておきたいところだったんだけど、さすがゴールデンウィークだけあってどこのラーメン屋も満員のようだった。
まずは向島から尾道へ行くことにして、連絡船に乗った。
向島が最後の島であった。そしてすぐ目の前には尾道の街。昨日出発したばかりだったけど、いやに昔のように感じられた。でも、確かに帰ってきたのだ。しまなみ海道160キロを走破して時間どおりに尾道に帰ってきた。これはスゴいことである・・・と、感動もそこそこに、駅前で記念写真を撮ったしゅんすけたちは、長い行列を経て尾道ラーメンを食べ、自転車を片付け、着替えをしたりてるうちに電車の時刻になってしまった。
尾道ラーメンは、それなりに美味かったがしゅんすけの口には合わない感じであったな。

※因島の浜辺にて。キレイな砂浜だ。
こうしてしゅんすけのしまなみ海道サイクリングは終了した。
長いようで短いサイクリングだった。
それにしても、瀬戸内海の海はしゅんすけを感動させっぱなしだった。前述のような潮の流れや波立たない浜辺もそうだし、海と民家の距離の短さにも驚いた。海面と家々の高さは1、2メートル程度しかなくて、高い護岸にはなってないから、台風とか地震とか来てもあまり高潮の心配がないのかもしれない。この辺りの人が東京の方に来て、お台場とか湘南とか九十九里とかの海岸を見てどう思うのだろうか。しゅんすけは海と言えば、砂浜に波がザッパーンっと打ち寄せるのを想像するけど、この辺の人たちはあくまでこの海がイデアというかデフォルトというか原点なんだよね。同じ海の街、港町の人としてこの差が非常に興味深かった。
また、サイクリングロードを作った行政にも思いが至る。
道路にはところどころにサイクリングロードの看板が立っていてしゅんすけたちのように不案内な者でも迷わないようになってるし(一部迷ったけどね)、道路の路面も走りやすかった。段差は少ないし、アスファルトはごつごつしてないし、ホント東京、横浜の道路の方が全然サイクリング向きではない。また何より嬉しかったのが、橋の高さまで上るために作られた道である。これは歩行者や原付バイクも通ることを想定しているんだけど、ここを走って分かったのは「何より自転車が走ることを想定して作られている」ということ。歩行者のために作るのであれば階段でもいいわけだし、原付バイクを想定しているならもっと急勾配でもいいはずである。この坂道では自転車が上るのにキツくなく、下るのにスピードが出すぎないようにするちょうどいい傾斜を常に保っていた。絶妙な位置に展望台があったり、蛇行や立体交差などちょっとウレシイ演出もあった。どこまでが確信犯的に作ってるか分からないけど、少なくとも自転車のことを考えて行政機関が少なからぬお金を投下したのは非常にウレシイことである。
自転車乗りにはウレシイ道であれば、このゴールデンウィークにサイクリングに行こうという人はしゅんすけたち以外にもいるもので、かなり多くの自転車乗りの人とすれ違った。しゅんすけは地元でサイクリングしてても特に対向を走る自転車乗りにあいさつしたりしなくて、横目でちらっとメーカーだけ確認したりしてたんだけど、この道を走っている間にどういう理由か、いつの間にか対向を走る自転車に挨拶をするようになっていた。これは先方も同じで挨拶すると返事してくれたりぺこっと会釈してくれたりする。自転車の特性上手を離すのは危険なので、お互いに頭をぺこっと下げる仕草で充分伝わるものなのだ。こういうのも結構嬉しかったりするのだ。やはり同じしまなみ海道を走る仲間として連帯意識が芽生えていたのだろうか、美しい海が本来の人としての交流を思い出させたのか、ともかくこういうのって気持ちがいいものである。
さきこが特筆すべきとして挙げたのは、景色の良さではなく、香りの良さであった。
ご当地の名産なのか、はっさくとかでこぽんとか聞き慣れぬ柑橘果物がたくさん実っていた。レモンがなっている木もあった(大三島はレモンの日本一の産地だそうな)。現地の人曰く、今は果物のシーズンではないそうで、つまりそれは花の季節だとのことで、島中が柑橘系の香りに満たされている感じであった。美しい景色を見ながら嗅覚にも訴える爽快感を味わって走るサイクリングはシチュエーションとしては最高であろう。
さて、尾道で帰宅準備を終えたしゅんすけたちは駅の改札に向かう。
長旅を共にしてきた自転車は既に輪行袋に入っている。雨の中を走ってきた割にはさほど汚れてなくて安心したが、これは帰ってからすぐに洗車しないといけないだろう。電車に乗り込み、他の乗客に邪魔にならないように隅の方に置く。ふぅと息をつき、ふと車窓を見た。すると例の映画に登場したお寺が視界の隅から消えていくところだった。おおっ、尾道から最後に贈り物を貰った感じである。

※(左)尾道が見えた!(右)到着〜ヨロコビのジャンプ!
新幹線にどのようにして自転車を積み込むかを検討している間に新幹線が福山駅に入ってきた。復路では往路に比べて自転車を収納するスペースが確保しづらいシートの並びであったが、発車ベルが鳴り響く中、何とか自転車を積み込むことに成功。発車後もがちゃがちゃやって、無事収納することができた。これで新横浜まで安心して帰ることができるわけだ。そして、無事帰りの新幹線に乗ることができたことで、旅の前から心配していたしゅんすけの不安な点はすべて解消した。この旅は不安な点をひとつひとつクリアしていく旅でもあった。だから不安なことがなくなることは旅の終了を意味しているのである。こうして新幹線に揺られて新横浜まで行けばほぼ間違いなく旅は無事終了、ということである。
ホントたくさん走った。2日間で8時間も自転車をこいでいたというのはしゅんすけとしては快挙である。そして腰の痛さを押してしゅんすけについてきてくれたさきこにも感謝である。ホント楽しく充実した旅であった。もっと天気がいい時に行きたいなと思いつつ、日本の中なのにこれほど世界が異なることを知ってもっと他の道も走ってみたいと思った。
日本全国、自転車で行けない場所はないのである。
思い荷物を運んで地元の駅に到着したしゅんすけとさきこは、駅員さんにお願いして駅の中で自転車を組み立てさせてもらった。再び自転車として組み上がったしゅんすけの愛車、こてつ号。細身のクロモリフレームにいくつかのキズがついている。これはこてつ号の勲章みたいなものである。今回はトラブルもなくよく走ってくれた。
どこに行くか分からないこの次のサイクリングがとても楽しみである。

※こてつ号、ありがとう!(伯方島にて) |